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Tuesday, January 02, 2007

new year

NEW YEAR

I do my best in every thing in my life.

Friday, November 03, 2006

good job

good job

Friday, August 11, 2006

働く婦人

『働く婦人』がまた発行されることになりました。こんど初めて手にとる方も多いでしょうが、なかには、まあ、『働く婦人』がまた出るようになったか、と、心からよろこんで読んで下さる方も少くないだろうと思います。
 毎日の生活に関係の深いいろいろな社会の出来ごとについて、正しい知識を得るとともに、本当に私たちの婦人雑誌として可愛く思う『働く婦人』が、創刊されたのは、今より十四年前(一九三二年)一月のことでした。空色の地に明るい表情の婦人車掌の姿が描かれた表紙でした。そして、読むかぎりの人みんなに親しまれる雑誌でした。ところが僅か三号出したばかりのとき、発行元であった日本プロレタリア文化連盟が、つい先頃まで私たちを苦しめた治安維持法という悪法によって弾圧され、『働く婦人』の刊行は、非常に困難に陥りました。折角出来上った雑誌をそっくりそのまま警察の手で押えられるというひどいことなどもありました。当時『働く婦人』の編輯に働いていた人々は、男も女も、実にひととおりでない苦労をして、何とか雑誌を出しつづけようとしました。けれども遂に『働く婦人』はたとえて云えば、物を云いたい口に猿ぐつわをはめられたようにして、潰されたのでありました。

Monday, May 29, 2006

注目選手

注目選手を紹介します。

ミヒャエル・バラック
マチエイ・ズラウスキ
ウェイン・ルーニー
カルロス・ガマーラ
ニコ・クラニツァール
ハリー・キューウェル
ドワイト・ヨーク

ドワイト・ヨーク

 カリブ海に浮かぶ小さな島、トリニダート・トバゴ。人口わずか130万人の小国がワールドカップに出場するとは、誰が予想しただろうか。躍進のキーマンは3人。チームに規律をもたらしたオランダ人のレオ・ベーンハッカー監督と、予選で12得点を挙げたFWスターン・ジョン。そして、“トリニダード・トバゴの英雄”ドワイト・ヨークである。
 ヨークは1999年にマンチェスター・Uが三冠を達成したときの主力選手で、プレミアリーグ得点王も獲得した実力者だ。10代でイングランドに渡り、アストンヴィラをはじめ、マンチェスター・U、ブラックバーン、バーミンガムに在籍。サッカーの母国では15年間にわたってプレーした。トリニダード・トバゴ史上、最も国際的に成功したサッカー選手である。その人気はすさまじく、国内には名前を冠した「ドワイト・ヨーク・スタジアム」が建つほど。現在はオーストラリアのシドニーFCに所属しており、三浦知良(カズ)とともに世界クラブ選手権で来日した姿は記憶に新しい。
 今年で35歳を迎えるカリブのカリスマは衰えることを知らず、2005年2月の代表復帰後、プレーオフを含む予選12試合すべてに先発出場を果たしている。バーレーンとのプレーオフ第2戦ではセットプレーから先制ゴールをアシストし、母国をワールドカップ出場に導く決定的な仕事をやってのけた。
 肉体的には全盛期ほどのハリはなくなったが、そのぶん、味方を生かすプレーはすごみを増した。イングランド時代は絶対的なストライカーとして君臨していたが、今では状況に応じてトップ下でプレーする柔軟さも持ち合わせている。自分にマークを引き付けておいて、スターン・ジョンを生かすコンビプレーはチームのストロングポイントだ。
 1998年のプロリーグ発足以来、トリニダード・トバゴは着実に力を付けてきた。とはいえ、国際舞台の経験不足は明らかだ。頼れるのはヨークしかいない。カリブの小国が躍進を遂げられるかは、ベテランの両足にかかっている。国民の期待を一身に受け、ヨークが一世一代の大勝負へ挑む。

カルロス・ガマーラ

 カルロス・ガマーラほど、エレガントなセンターバックは珍しい。179cm、85kgとDFとしては小柄なものの、卓越したポジショニングと読みで相手アタッカーをことごとくストップする。35歳になった今でも、パラグアイのDFラインに欠かせない存在である。
 特筆すべきは、プレーのクリーンさだ。ガマーラは1998年フランス大会、2002年日韓大会とワールドカップに2度出場しているが、合計8試合で1枚もイエローカードをもらっていない。フランス大会にいたっては、ファウル数はゼロ。日韓大会も、8度しかファウルを犯さなかった。危険なタックルをすることはなく、冷静なプレーでパラグアイの2大会連続ベスト16進出に多大な貢献を果たした。
 キャプテンシーと統率力も、ガマーラの持ち味である。2004年アテネ五輪には、オーバーエイジ枠で出場。10歳以上年の離れた選手たちを引っ張り、同国にオリンピック史上初のメダル(銀メダル)をもたらした。また、2006年ワールドカップ予選では15試合に出場。5節のブラジル戦、7節のアルゼンチン戦をともにスコアレスドローに持ち込むなど、安定感のあるプレーを披露した。加えて、チーム3位タイの3ゴールをマーク。強固なディフェンスに反し、得点力に課題を残すパラグアイにとって、ガマーラは攻撃面でも不可欠な戦力である。
 クラブレベルでは、国内外の名門を渡り歩いてきた。セロ・ポルテーニョ、インディペンディエンテなどで経験を積み、ポルトガルのベンフィカ、スペインのアトレティコ・マドリード、イタリアのインテルなどを経て、現在はブラジルのパルメイラスに所属。タフなリーグ、歴史のあるビッグクラブでプレーしてきたことは、ガマーラにとって貴重な財産となっている。
 パラグアイがグループリーグで対戦するのは、イングランド、スウェーデン、トリニダード・トバゴ。イングランドにはウェイン・ルーニー、スウェーデンにはズラタン・イブラヒモヴィッチ、トリニダード・トバゴにはドワイト・ヨークと、各国ともに強烈なストライカーを擁している。それだけに楽しみも多いというものだ。果たして、ガマーラは彼らをいかにして封じ込めるのか。35歳のDFが見せる、渋くて、クールで、優雅なプレーから目が離せない。

ウェイン・ルーニー

 ベテランのような顔付きをしているが、まだ20歳。ずいぶんと長くフットボールシーンの主役を務めているようで、彼がプロのピッチに登場してから4年しかたっていない。 小型戦車のような頑強な肉体を持ち、ゴールへと突進する血気盛んな若者―――ウェイン・ルーニーはサッカーの母国を40年ぶりのワールドカップ優勝に導く活躍が期待されている。
 代表デビューは鮮烈だった。イングランド代表史上、最年少試合出場(17歳111日)、最年少得点記録(17歳317日)を保持。2004年6月に開かれた自身初となるビッグ・コンペティション、EURO(欧州選手権)2004では存分に暴れまわった。丸太のような太ももから繰り出される強烈なシュートを武器に、グループリーグのスイス戦、クロアチア戦と2試合連続2ゴールを挙げる活躍を見せた。 準々決勝で地元のポルトガルに敗れたが、ルーニーはその試合で足を骨折し、前半でピッチから姿を消した。ルーニーが退くまで、ペースは圧倒的にイングランドが握っていた。「ウェインがいれば……」とは多くのイングランドサポーターの思いだ。 当時はわずか18歳。ハイスクールを卒業する年齢の小僧っ子がイングランドの命運を握っていたのである。
 あれから2年。ドイツワールドカップを20歳で迎えるルーニーにとって、今回は空前のチャンスだ。チームメイトにはベッカム、ジェラード、ランパード、テリーなど、人気と実力を兼ね備えた先輩がそろっている。タレントの質で見れば、チーム力はイングランド代表史上最高である。 ワールドカップ予選では7試合に出場して1ゴールも挙げられなかったが、果敢なミドルシュート(それもとびきりパンチの効いたものだ!)は相変わらずで、トップ下でもプレーできる起用さをエリクソン監督に証明した。オーウェンとのコンビは一時、機能しているとは言いがたかったが、それもルーニーが下がり目に位置することで円滑になった。 ルックスは武骨だが、ボールさばきはエレガントで小気味よい。この、ふてぶてしさと繊細さを兼ね備えた若者が爆発すれば、40年ぶりの戴冠(たいかん)も見えてくる。

アグスティン・デルガド

 2大会連続2度目の出場を果たしたエクアドル。前回大会はグループリーグ敗退に終わったが、今予選はブラジル、アルゼンチンに次ぐ南米地区3位で本大会出場を決めるなど、決勝トーナメント進出をねらえるだけの実力がある。そんなチームを長年に渡ってリードしているのが、エースストライカーのアグスティン・デルガドだ。
 デルガドは当たり負けしないフィジカルを誇り、強烈なヘディングが武器。187cmのFWは、同時に確かな決定力を併せ持つ。2002年ワールドカップ南米予選では、ブラジルのロナウド、アルゼンチンのガブリエル・バティストゥータなど並み居るストライカーを抑え、エルナン・クレスポ(アルゼンチン)とともに同地区の得点王に輝く(9点)。2006年ワールドカップ予選ではエディソン・メンデスと並び、チーム最多の5得点をマークした。
 エクアドルのエースストライカーはその巨躯(きょく)を生かし、前線での空中戦、ポストプレーに秀でている。確かなシュート力も誇り、対戦相手にとっては最も気を付けなければならないひとりである。
 国内組が多勢を占めるエクアドルにあって豊かな国際経験を持っていることも心強い。ネカサ(メキシコ)時代の2000年世界クラブ選手権ではマンチェスター・U、レアル・マドリードを相手にゴールを奪った。2001年にはサウザンプトンと契約し、エクアドル人として初のプレミアリーグデビュー。現在はエクアドルのバルセロナ・グアヤキルでプレーしている。
 初出場の前回大会で1勝を挙げたエクアドルにとって、今回の目標はグループリーグ突破。グループの力関係を見るとドイツの実力が抜けているものの、ポーランド、コスタリカとは互角だ。4年前はメキシコ戦の1得点のみに終わったデルガドが真価を発揮すれば、エクアドルの決勝トーナメント進出は現実味を帯びてくる。

マチエイ・ズラウスキ

 ポーランド代表のエースストライカーとして君臨するマチエイ・ズラウスキは、“マジック”の愛称で親しまれている。2005年夏、ポーランドのヴィスラ・クラコフからスコットランドのセルティックに入団。2005-2006シーズン序盤からレギュラーの座をつかみ、確かなテクニックと抜群の得点力でセルティックファンを虜(とりこ)にした。 ワールドカップドイツ大会予選では、高い決定力を見せ付けた。10試合すべてに出場し、ヨーロッパ5位タイの7得点をマーク。2004年10月13日のウェールズ戦では逆転弾、2005年3月30日の北アイルランド戦では86分に決勝点を奪うなどの活躍を披露し、ポーランドに2大会連続7度目のワールドカップ出場をもたらした。
 ズラウスキは180cm、74kgと、FWとしては小柄の部類だ。特に足が速いわけでもない。それにもかかわらず、ポーランド代表でもセルティックでもコンスタントに得点を積み重ねている理由は、ポジショニングが優れているからである。 セルティックでともにプレーする中村俊輔が「“マジック”は裏に抜けられるから」と信頼を置くように、ズラウスキはオフ・ザ・ボールの動きが秀でている。攻撃的MFがボールを持つと、ディフェンスのマークをかいくぐり、フリーでボールを受ける。サイドに流れてパスをもらい、そこから中央に切れ込むパターンも得意だ。日本代表の柳沢敦のようなタイプで、抜群の得点嗅覚(きゅうかく)を誇っている。
 ワールドカップ日韓大会ではグループリーグ3試合ともに先発したが、1度もゴールネットを揺らすことはできなかった。だが、エースとして臨むドイツの地で、同じ失敗は許されない。 右足、左足、頭と多彩な得点パターンを誇るストライカー。安定感と爆発力を兼ね備え、予測しづらい動きでDFを幻惑し、ファンに歓喜をもたらす。29歳になり、プレーの幅を広げた“マジック”ズラウスキ。ポーランドの頼れるFWは、ドイツでどんな魔法をかけるのか。

パウロ・ワンチョペ

 ハンターのような嗅覚(きゅうかく)と動物的な勘を併せ持ち、どんな体勢からでもゴールをねらうストライカー。“コスタリカ史上最高の点取り屋”と呼ばれているのが、パウロ・ワンチョペである。2005年10月には、コスタリカ代表の最多得点記録(43得点)を塗り替え、エースと呼ぶにふさわしい存在感を示している。
 ドイツワールドカップ予選では8試合で3得点をマーク。驚異的な身体能力からなるプレーは円熟味を増している。コスタリカにはデポルティーボ・サプリサのサボリオやセンテーノなど、生きのいいアタッカーがそろっているが、経験、安定感でワンチョペをしのぐものは見当たらない。
 エレディアノという小さなクラブでキャリアの第一歩を記したワンチョペだったが、最初から順調な道のりを歩んできたわけではない。ステップアップを目指し、いくつかのクラブのテストを受けるも、芳しい結果は得られず。サッカーをあきらめて、バスケットの道に進もうと考えたほどだった。しかし、腐らずに1年半プレーした結果、プレミアリーグのダービー・カウンティに移籍を果たす。これがキャリアの分岐点になった。開幕戦でマンチェスター・U(ウェイン・ルーニー)を相手にゴールを決めたのである。
 ダービーで3シーズンプレーしたあと、350万ポンド(当時:約5億7000万円)の移籍金でウェストハムに加入。キャリアのピークを刻むとともに、マンチェスター・C、マラガでプレーし、コスタリカ人としては異例のサクセスストーリーを歩んで行く。
 以降、カタールのアル・ガラファを経て、現在は古巣のエレディアノに在籍している。この移籍はキャリアの幕引きを考えてのものと言っていいだろう。ワンチョペはドイツワールドカップ後の代表引退を発表しているのだ。コスタリカが生んだ偉大なゴールハンターが代表のユニフォームを着るのは、今回が最後である。
 ワールドカップには日韓大会に続いて2度目の出場になる。前回はブラジル、トルコの強豪と同じ組に入り、予選リーグ突破はならなかった。今回はドイツ、ポーランド、エクアドルとの対戦が待っているが、恐れるに足らずである。コスタリカの野望は、1990年イタリア大会以来のベスト16進出にほかならない。自らの花道を飾るため、ワンチョペのファイナル・バトルが始まる。

ミヒャエル・バラック

 開催国のキャプテン。その栄誉に授かることができるのは、参加32か国、736人のうちひとりだけである。
 とびきりの名誉とともに、彼にかかる重圧は並大抵のものではない。それでも、やらなければならない。過去にフランツ・ベッケンバウアーが挑み、成功したミッション。主将として開催国を優勝に導く偉業に向けて、ミヒャエル・バラックは突き進む。
 旧東ドイツのゲルリッツで生まれたバラックは、共産主義独特のエリート教育で知られるスポーツシューレでフスバル(サッカー)のすべてを学んだ。
 東側のクラブ、カール・マルクス・シュタット(現ケムニツァー)でキャリアをスタートさせると、カイザースラウテルン、レヴァークーゼンを経て、2002年のワールドカップ後からバイエルンに加わった。2002、2003、2005年と3度ドイツ年間最優秀選手賞を受賞。いまではオリヴァー・カーンをしのぐ人気を集め、ドイツの顔として君臨している。
 自身初めてのワールドカップとなった日韓大会では準優勝に輝いた。チームをけん引したのは、GKカーン、FWクローゼ、そしてMFバラックの3人だった。なかでも、準決勝の韓国戦でバラックが見せたパフォーマンスは、ドイツに新たな“皇帝”が生まれたことを知らしめるものだった。
 韓国の攻勢が続く後半、バラックは相手の猛攻をストップするためにペナルティエリア付近でファウルを犯し、イエローカードを受けてしまう。累積により、ドイツが勝っても決勝戦に出場できない。しかし、すぐに気持ちを切り替え、「いま、自分にできることをしよう」と開き直った。
 そして75分、ゴールが生まれた。
 ノイヴィルのパスを受けたバラックがシュートを放つ。GKに弾かれたボールを再び蹴り込み、ついに均衡を破った。この1点を守り切ったドイツは決勝の切符を手に入れた。チームは喜びに沸いたが、バラックは出場停止。ブラジルに蹂躙(じゅうりん)される母国を客席から見守るしか術はなかった。
 あれから4年、バラックは決勝に忘れ物を取りにいかなくてはならない。
 ファイナルの会場はベルリンのオリンピアシュタディオン・ベルリン。東西を分断する壁のあった都市だ。東で生まれ育ち、西でキャリアをアップさせたバラックの集大成にふさわしい舞台である。

中村俊輔

 屈辱のメンバー落ちとなったワールドカップ日韓大会から4年。いよいよ、中村俊輔がワールドカップデビューを果たす。マラドーナにあこがれてきたレフティは、今では押しも押されもせぬ最重要キーマンとなった。
 「ワールドカップは、海外での4年で自分がどう変わったかを確認できる舞台だね」 セリエAのレッジーナで3年、スコットランドの名門セルティックで1年。中村は海外移籍を果たしてからの4年間で、明らかにパワーアップした。トップ下、サイドハーフ、ボランチとさまざまなポジションをこなしてきたことにより、持ち前の視野は広がった。フィジカルコンタクトの激しいリーグを戦場としてきたこともあり、接触プレーでの巧みさを増した。イタリアとスコットランドでの海外生活で、メンタル面でもタフになった。スコットランドリーグ移籍後、タックルの技術も向上している。セルティックでは、右足から正確なクロスを供給することもしばしばある。もちろん、左足の精度が高まったことは言うまでもない。
 中村が何より優れているのは、スポンジのような吸収力である。経験してきたものを昇華し、自分の引き出しを増やしていく。学習意欲が高く、常に向上しているのだ。 「ワールドカップはサッカー経験をたくさん積める場所。いい状態でワールドカップに出て、その後、4年後となるようにしたい」
 日本の対戦国も、中村を特に警戒している。当然だろう。彼の左足は、一瞬で状況を打開できるからだ。フリーキック、ラストパス、シュート。多彩なキックは、同時にジーコジャパン最大の武器でもある。 中村の左足で思い出されるのは、2005年コンフェデレーションズカップのブラジル戦。27分、左足で強烈なミドルシュートを突き刺したシーンだ。中村が持つ世界レベルの個人技は、セレソンをも黙らせる程の威力がある。 日本の背番号10は、まだまだレベルアップをもくろんでいる。そのためにも、ワールドカップでの活躍は不可欠だ。自慢の左足で日本に勝利をもたらしたとき、中村の未来は新たなステップへと切り開かれる。

ハリー・キューウェル

 ボールを受ければ迷わずドリブル突破を試み、左足から強烈なシュートを放つ。超攻撃的なマインドを誇り、創造性も豊か。そのプレースタイルから、ハリー・キューウェルは“オズの魔法使い”と形容されている。
 1995-1996シーズンにプレミアリーグのリーズへ移籍したキューウェルは、欧州を舞台に華々しい活躍を披露してきた。17歳でプロデビュー。1999-2000シーズンには36試合で10ゴールをマークし、イングランド・プロサッカー選手協会による年間最優秀選手に選出された。2002-2003シーズンにはキャリアハイの14ゴールを奪い、リヴァプールへ移籍する。その後はケガに泣かされ思うようなプレーはできなかったが、2004-2005シーズンにはチャンピオンズリーグを制した。 オーストラリア代表としては、1999、2001、2003年と3度オセアニア最優秀選手に輝いている。しかし、キューウェルは代表でのキャリアにまったく満足していないだろう。ワールドカップ予選は1998、2002年大会ともにプレーオフで敗退。地元開催の2000年シドニー五輪は、ケガのために辞退を余儀なくされた。だからこそ、キューウェルは初めてのワールドカップ、大いに意気込んでいる。 予選は、ウルグアイとのプレーオフ2試合にしか出場しなかった。だが、本大会で不動のレギュラーに据えられることは確実だ。いや、オーストラリアの命運はキューウェルが握っていると言っても過言ではない。
 2003-2004シーズンにリヴァプールへ移籍したのち、キューウェルは慣れない右サイドで起用されたこと、そして度重なるケガにより、不本意なシーズンを過ごしてきた。だが、もう心配はいらない。リーズ時代、ヨーロッパの舞台でセンセーションを巻き起こした左サイドアタッカーは今シーズン、トップフォームを取り戻した。爆発力のあるスピード、鋭いステップ、高い得点力。国内リーグでの勢いそのまま、決戦の地へ乗り込んでくるだろう。 スーパースターとして大ブレイクする要素はそろっている。高い個人技、攻撃的な姿勢、華麗な動き、そして甘いマスク。キューウェルにとって、2006年ワールドカップドイツ大会はキャリアのハイライトになるかもしれない。

ニコ・クラニツァール

 ニコ・クラニツァールについて語られるとき、必ずといっていいほど付いて回る言葉がある。「親子鷹」―――。クロアチア代表監督のズラトコ・クラニツァールはニコの父親である。 だからといって、つまらない憶測は無粋(ぶすい)だ。そもそも、ニコはU-16から各年代の代表に選ばれてきたエリート選手。たとえ父親が監督でなくても、遅かれ早かれ代表のピッチに立っていたはずである。 2004年8月、ニコは7月に代表監督に就任した父ともども、フル代表デビューを果たした。ドイツワールドカップの欧州予選開幕は9月。わずか1か月しか準備期間はなかったが、持ち前の攻撃センスでスタメンに定着すると、予選9試合で2得点を挙げる活躍で本大会出場に貢献した。
 甘いマスクと優雅なプレースタイルでスターへの階段を駆け上がり、国内では“ニコ・マニア”なる言葉も生まれた人気者だ。 ポジションはトップ下で、3-4-1-2の1を担当する。185cmの長身だが足元の技術に長けており、その才能と高いテクニックから、クロアチアの英雄ズヴォニミール・ボバンをだぶらせるサポーターは多い。 ニコはボバン同様、ディナモ・ザグレブでキャリアをスタートさせると16歳でトップチームにデビュー。18歳で主将を任され、中心選手として君臨した。しかし2005年1月にチーム首脳とひと悶着(もんちゃく)を起こし、ハジュク・スプリトに放出。今年1月には国外クラブへの移籍話が持ち上がったが、継続して試合に出るため、ハジュクに留まることを決めた。おそらく、ワールドカップで活躍し、誰もが知るビッグクラブへの移籍を視野に入れているに違いない。
 ニコにとって、21歳で迎えるドイツワールドカップは初のビッグチャレンジになる。 グループFにはロナウジーニョ、カカ、中村など攻撃的MFとして、世界的に評価されている選手がたくさんいる。ボバンの域に達するためには、彼らとの対決で自らの価値を証明しなくてはならない。 ワールドカップ開幕まであとわずか。ニコの新たな挑戦はすぐそこまで来ている。

アドリアーノ

 今大会のブラジルは、間違いなく優勝候補大本命である。ロナウド、ロナウジーニョ、カカら世界トップレベルのタレントが攻撃陣にそろい、中盤からディフェンス陣の選手層も厚い。6度目のワールドカップ優勝を狙う“史上最強軍団”――そんなチームのエースストライカーが、アドリアーノである。
 189cm、91kgの体躯(たいく)を誇るストライカーは、強靭(きょうじん)な肉体が何よりの武器だ。当たり負けすることはほとんどなく、パワーあふれるドリブルでマーカーを寄せ付けない。かつスピードも超一流だから、相手守備陣にとっては何ともやっかいだ。シュートレンジも広く、ゴールまで30m程あっても射程範囲。視界にシュートコースが開けると、丸太のような左足で弾丸シュートを放ってくる。“フェノメノ(怪物)”。全盛期のロナウドに付けられた愛称は、今ではアドリアーノにこそふさわしい。
 2005年コンフェデレーションズカップ。ロナウドが欠場した大会で、アドリアーノは自らがセレソンのエースであることを示した。準決勝ドイツ戦の前半21分、ゴールまで約30mの距離。セレソンのエースストライカーはわずかなコースを見つけると、鋭い弾丸シュートを突き刺した。決勝のアルゼンチン戦でも、2得点を記録。大会通算5ゴールを奪いMVPを受賞、4大会ぶり2度目の優勝をもたらした。
 クラブレベルでも、華やかな活躍を披露し続けている。フィオレンティーナ、パルマ時代は自らのゴールのみを追求するエゴイスティックな姿が目立ったが、2003-2004シーズンからインテルに加入すると、周囲を使いこなすプレーが向上。“ネラッズーリ”加入後、ストライカーとして一皮むけた印象がある。
 現在24歳。日々レベルアップを遂げ、世界でも指折りの点取り屋になった。2006年6月、迎えるは初めてのワールドカップ。得点王候補におされるアドリアーノは、世界中で最も頼れるチームメイトとともに、最高峰の戦いに出陣する。バックアップは万全だ。ロナウドは「(2トップのコンビは)センターFWタイプのアドリアーノがいい」と語っており、攻撃的MFはロナウジーニョ&カカの最強コンビである。2005年コンフェデレーションズカップに続き、アドリアーノが得点王に輝く可能性は高い。それが実現した時、セレソンは6度目の世界王者に輝いているはずだ。

Thursday, April 13, 2006

ゆすりだ

「ごめん下さい」 と、女のほそい声が玄関で致します。私は、総身に冷水を浴びせられたように、ぞっとしました。「ごめん下さい。大谷(おおたに)さん」 こんどは、ちょっと鋭い語調でした。同時に、玄関のあく音がして、「大谷さん! いらっしゃるんでしょう?」 と、はっきり怒っている声で言うのが聞えました。 夫は、その時やっと玄関に出た様子で、「なんだい」 と、ひどくおどおどしているような、まの抜けた返辞をいたしました。「なんだいではありませんよ」と女は、声をひそめて言い、「こんな、ちゃんとしたお家もあるくせに、どろぼうを働くなんて、どうした事です。ひとのわるい冗談はよして、あれを返して下さい。でなければ、私はこれからすぐ警察に訴えます」「何を言うんだ。失敬な事を言うな。ここは、お前たちの来るところでは無い。帰れ! 帰らなければ、僕のほうからお前たちを訴えてやる」 その時、もうひとりの男の声が出ました。「先生、いい度胸だね。お前たちの来るところではない、とは出かした。呆(あき)れてものが言えねえや。他の事とは違う。よその家の金を、あんた、冗談にも程度がありますよ。いままでだって、私たち夫婦は、あんたのために、どれだけ苦労をさせられて来たか、わからねえのだ。それなのに、こんな、今夜のような情ねえ事をし出かしてくれる。先生、私は見そこないましたよ」「ゆすりだ」と夫は、威たけ高に言うのですが、その声は震えていました。「恐喝だ。帰れ! 文句があるなら、あした聞く」「たいへんな事を言いやがるなあ、先生、すっかりもう一人前の悪党だ。それではもう警察へお願いするより手がねえぜ」 その言葉の響きには、私の全身鳥肌立ったほどの凄(すご)い憎悪がこもっていました。「勝手にしろ!」と叫ぶ夫の声は既に上ずって、空虚な感じのものでした。

ゆすりだ

「ごめん下さい」 と、女のほそい声が玄関で致します。私は、総身に冷水を浴びせられたように、ぞっとしました。「ごめん下さい。大谷(おおたに)さん」 こんどは、ちょっと鋭い語調でした。同時に、玄関のあく音がして、「大谷さん! いらっしゃるんでしょう?」 と、はっきり怒っている声で言うのが聞えました。 夫は、その時やっと玄関に出た様子で、「なんだい」 と、ひどくおどおどしているような、まの抜けた返辞をいたしました。「なんだいではありませんよ」と女は、声をひそめて言い、「こんな、ちゃんとしたお家もあるくせに、どろぼうを働くなんて、どうした事です。ひとのわるい冗談はよして、あれを返して下さい。でなければ、私はこれからすぐ警察に訴えます」「何を言うんだ。失敬な事を言うな。ここは、お前たちの来るところでは無い。帰れ! 帰らなければ、僕のほうからお前たちを訴えてやる」 その時、もうひとりの男の声が出ました。「先生、いい度胸だね。お前たちの来るところではない、とは出かした。呆(あき)れてものが言えねえや。他の事とは違う。よその家の金を、あんた、冗談にも程度がありますよ。いままでだって、私たち夫婦は、あんたのために、どれだけ苦労をさせられて来たか、わからねえのだ。それなのに、こんな、今夜のような情ねえ事をし出かしてくれる。先生、私は見そこないましたよ」「ゆすりだ」と夫は、威たけ高に言うのですが、その声は震えていました。「恐喝だ。帰れ! 文句があるなら、あした聞く」「たいへんな事を言いやがるなあ、先生、すっかりもう一人前の悪党だ。それではもう警察へお願いするより手がねえぜ」 その言葉の響きには、私の全身鳥肌立ったほどの凄(すご)い憎悪がこもっていました。「勝手にしろ!」と叫ぶ夫の声は既に上ずって、空虚な感じのものでした。

暗闇

「いらっしゃいまし」 と挨拶しました。「や、これは奥さんですか」 膝(ひざ)きりの短い外套(がいとう)を着た五十すぎくらいの丸顔の男のひとが、少しも笑わずに私に向ってちょっと首肯(うなず)くように会釈しました。 女のほうは四十前後の痩せて小さい、身なりのきちんとしたひとでした。「こんな夜中にあがりまして」 とその女のひとは、やはり少しも笑わずにショールをはずして私にお辞儀をかえしました。 その時、矢庭に夫は、下駄を突っかけて外に飛び出ようとしました。「おっと、そいつあいけない」 男のひとは、その夫の片腕をとらえ、二人は瞬時もみ合いました。「放せ! 刺すぞ」 夫の右手にジャックナイフが光っていました。そのナイフは、夫の愛蔵のものでございまして、たしか夫の机の引出しの中にあったので、それではさっき夫が家へ帰るなり何だか引出しを掻きまわしていたようでしたが、かねてこんな事になるのを予期して、ナイフを捜し、懐にいれていたのに、違いありません。 男のひとは身をひきました。そのすきに夫は大きい鴉(からす)のように二重廻しの袖をひるがえして、外に飛び出しました。「どろぼう!」 と男のひとは大声を挙げ、つづいて外に飛び出そうとしましたが、私は、はだしで土間に降りて男を抱いて引きとめ、「およしなさいまし。どちらにもお怪我があっては、なりませぬ。あとの始末は、私がいたします」 と申しますと、傍から四十の女のひとも、「そうですね、とうさん。気ちがいに刃物です。何をするかわかりません」 と言いました。「ちきしょう! 警察だ。もう承知できねえ」 ぼんやり外の暗闇を見ながら、ひとりごとのようにそう呟(つぶや)き、けれども、その男のひとの総身の力は既に抜けてしまっていました。「すみません。どうぞ、おあがりになって、お話を聞かして下さいまし」 と言って私は式台にあがってしゃがみ、「私でも、あとの始末は出来るかも知れませんから。どうぞ、おあがりになって、どうぞ。きたないところですけど」

Friday, March 10, 2006

秣畑(まぐさばた)

 それが三日間の強い北西の風でまた冬に逆もどりした形だった。僕の来た分の次の汽船は島へ近寄れなくって、大島の波浮(はぶ)港まで避難したという。着くなり風に閉じこめられた工合で、僕は終日呆然(ぼうぜん)として庭の向うの楠(くすのき)の大木が今にもちぎれそうに枝葉をふきなびかされるのを、雨を含んだ低い雲がすぐ頭の上と思えるくらいのところを速くひっきりなしに飛んでゆくのを眺め、小やみなく遠くの方で起って、きゅうにどっと襲って、また遠くの方で唸(うな)っている風の音を聞いてすごした。 ようやく風のしずまった日の午後、散歩に出た。部落のどの家も周囲に石垣をめぐらしている。島では「ならいの風」という。それは北西から吹くやつだが、そいつが来るといつも荒れで、部落はおそらくならいの風を避けるためにか、傾斜と傾斜の間のいくらか谷まった地勢にかたまっているので、家々の高低がまちまちで、路は家々の古い石垣の間をあるところは小さい谷のようになって、方々に上ったり下ったりして続いている。いい加減に低い方へ下りてゆくと、部落外れの両側に椿の樹が並木みたいにぎっしりと密生した路になった。そこを抜けるとからっとした広い傾斜面でどこも秣畑(まぐさばた)になっている。切株から青い葉茎が少し出ている。ずっと海の方まで傾斜面はつづいて、そこでいきなり切れている風に見えるが、きっと高い断崖になっているのだろう。秣畑を区切ったみたいにしての茅(かや)のような雑草がところどころにある。まだ冬枯れのままの延び放題な、そして風に捻(ひね)られ揉(も)みたてられたまま茫々として、いかにも荒れた感じだ。そのあたりでは風がまだ相当強い。時々後から追いたてるように、冷たくさっとやってくる。そして火山灰でできた秣畑の荒い小砂を足のあたりに吹きつける。身体の奥の方で何かが目覚めてくる。路はもう消えてしまったが、何とかして崖っ縁まで行ってみようと思って、そこではもうだいぶ深くなっている茅の茂みに踏みこむと、隠れた凹地に足をとられて、僕は何度か転(ころ)び、手足の方々を擦(す)りむいた。風の冷たいのと、茂みの深いのとで、崖縁まで行くのはとうとう断念した。

Friday, March 03, 2006

アンナ・リヴォーヴナとナースチャ

 入ったばかりのところは、がらんとした室だ。木の床の上に大机が一脚あった。その机の上に数冊パンフレットがおかれている。赤い布で飾ったレーニンの肖像が左側の壁にかかり、その下に壁新聞がはってあった。壁新聞に赤いプラトークをかぶって手を振っている若い女の笑い顔の插画がある。 上靴(ガローシ)をぬぐのか脱がないのか、ナースチャは、迷って、誰もいぬその室に立ち、見まわした。室の境に戸がなく、奥が見えた。上靴をはいたまま、女がある机の前に立っている。ナースチャは腕にかけた買物籠がゆれぬように片手で押え、そろそろ奥へ歩いた。 暗い室だ。大机が三つあって、三人の女が働いていた。白タイルがところどころ欠けて、燃き口のくすぶったペチカが室の隅にある。 入口に立っていると、ナースチャに一番近い机の前に坐っている女が、「お前さんはなに用」ときいた。藍縞の男ものシャツを着て、紺と黄色のさっぱりしたネクタイを胸の上にたらしている女であった。「わたし組合(ソユーズ)に入れましょうか」「なぜいけない? まあ掛けなさい」 アンナ・リヴォーヴナの台所にあると同じ腰かけにナースチャは坐った。他の机の前では、さきに来た女が小さい帳面を出して、なにか計算してもらっていた。「お前さんは、いままでに二十二ルーブリ五十カペイキしか受けとっていないことになるね」「ええ」――「あまりがいくらあることになる?」女は二十六ルーブリ近くだと答えた。――「よく見といで、二十五ルーブリと五十カペイキだよ」好奇心と不安とをもってナースチャはその問答をきいた。「デリ」と赤地に金文字つきの平ったい箱から巻タバコを出し、吸いつけながら、紺と黄色のネクタイの女が云った。「さて、と……お前さんどこで働いている?」「アンナ・リヴォーヴナのところです」「番地は」 ナースチャのそばかすのある顔がだんだんひどく赤くなった。「知りません」「じゃいい。いままでいっぺんも、どこでも組合員だったことはない?」「いいえ」「そのアンナ・なんとかさんの家へ来るまで勤めていたかい」「いいえ、はじめてです」「いく日もう勤めた?」「去年の八月からです」「八、九、十、十一、十二、一、二――と。月給はいくら」「十三ルーブリ」 ナースチャは正直に金額を答えてから、心配になって女の顔をじっと見た。女はしかしあたり前な顔で、机の引出しから二枚、大きい紙を出した。「さ、これを持って帰ってすっかり書きこんでもらっといで」 ナースチャは、きき間違え、また赤くなった。「わたし、書けません」「お前さんは主人じゃないだろう」 タバコの煙をふっと口のすみからふきながら、陽気に云って、笑った。「ごらん、すっかりこの項目に、主人の名、職業、お前さんの名、パスポルトの番号、月給、働く条件、休日まで書きこんでもらって、それから組合に入るんだ、わかったろう?」「ありがとう」「主人が書いてくれたら、住宅管理人に裏書きしてもらって、またここへおいで」 ナースチャが、紙を手にもって立ちかけた時、女がきいた。「クラブへ行ったのかい、お前さん」「いいえ」「誰にこのメストコムをきいた?」「リザ・セミョンノヴナが教えました」 椅子の背にタバコを持った手を廻してかけ、女は立っているナースチャを見上げた。「誰だい……それは」「家にいるお嬢さん(バーリシュニャー)です」「ふむ……よしよし」「さよなら」 女はうなずいて、こむらで椅子を押しながら自分の場所から立ち上った。 凍って白い並木道(ブリワール)では大勢の子供がスキーで遊んでいる。母親や子守のいるベンチの前を中国の女が、ゴムでつるした色つき毬(まり)を売って歩いた。雪の長い並木道を纏足(てんそく)で中国の女は黒く、よちよち動いた。並木道の外れの電車路に、婆さんと男の子供がいた。転轍手と遊んでいた。「おくれよ(ダワイ)。おじいちゃん(デードシュカ)」 転轍に使う金棒を男の子はほしがった。白い髯で山羊なめし外套の転轍手は笑いながら、金棒をうしろにかくした。「いけないよ(ニエ・ナード)、いけないよ(ニエ・ナード)、おくれよ(ダワイ)」「ワロージャ!」 婆さんが叱った。転轍手は男の子に金棒を渡した。男の子はたちまちその金棒にまたがって、雪の上を駈け、あっちへ行った。転轍手は子供の方と、かなたの電車線路の上とをかわるがわる眺めた。電車が見えはじめた。転轍手はいそいで子供のところへ走って行った。 ナースチャは自分の村にあった鉄橋の景色を思い出した。鉄橋の両端には見張所があった。銃を肩から逆さにつった平服の番人が橋桁にならべた板の上をいつもぶらぶら歩いていた。ナースチャの死んだ親父も赤いルバシカを着て番人したことがある。鉄橋から見下す河水のひろやかな大きさ……。汽車が通る時は鉄橋じゅうがふるえた。 欄干(らんかん)にしがみついて、顔にかかるあつい息や、頭がしびれそうに轟然とたくさんの輪が重って目の前をころがり通るのを見送ってしまうと、子供らは一せいに橋桁の上へ躍り出して、手をたたき笑った。ナースチャもほかの子供も裸足(はだし)であった。鉄橋のかなたは原で、村の共同物干場があった。いろんな色のぼろが、原のおっぴらいたなかに見えた。 メストコムからもらって来た紙をもって、ナースチャは食堂へ入って行った。夕食後であった。パーヴェル・パヴロヴィッチがシャツだけで長椅子の上に長くなって、パイプをふかしている。アンナ・リヴォーヴナは第二回工業化(インダスリザーチア)株券のことを話していた。「なんだい、ナースチャ」 ナースチャはアンナ・リヴォーヴナが肱をついているテーブルのそばに立った。「これに書きこんでいただきたいんです」 アンナ・リヴォーヴナは自分の腕越しにナースチャの差し出している紙を見下し、けげんそうにのっそり二つの肱をテーブルからおろした。「……なんなのさ、一たい」「わたし、組合(ソユーズ)に入りたいんですけれど、組合へはこの書付(ドクメント)がないと駄目だって云われたんです」「組合(ソユーズ)ってお前……神よ(ボージェ・モイ)! なにを考え出したのさ、急に」 ナースチャを見上げ、それから夫をアンナ・リヴォーヴナは眺めた。パーヴェル・パヴロヴィッチは故意としか思われぬ無邪気な眉のひらきようをして、窓の外に見とれている。アンナ・リヴォーヴナは、頭をふり、紙をひろげて、項目に眼をとおしはじめた。 その場の空気から、ナースチャは変に不安な居心地のわるい心持になり、立ちつづけた。これはそんななにごとかなのであろうか。 待ち遠しくなったほど丁寧に読み終って手を紙の上におき、アンナ・リヴォーヴナは、「じゃ(ヌー)、よろしい(ハラショ)」とおだやかに云った。「書いたげよう。――だがいそぎゃしないんだろう? ナースチャ」 ナースチャはいそぐと云えなくなって、「ええ」と答えた。「じゃ、紙おいときますから」 はっきりしない気持でナースチャが去ろうとすると、アンナ・リヴォーヴナが彼女をよびとめた。「ちょっと、ナースチャ、この紙、たしかに書いたげるには書いたげるが、お前、組合ってどんなもんだか、よく知ってるかい」 食堂の戸口のカーテンのところに立ち止って、ナースチャはまごつきを感じ、むっつり答えた。「知ってると思います」「そりゃ素敵だ! 説明してごらん」 ナースチャは、前垂をひっぱりながら、野性なきつい眼付で主人たち夫婦をみた。ナースチャは主人たちの前で長い文句で自分の考えを述べることなどに、てんからなれていない。アンナ・リヴォーヴナはからかうように、「きまりわるがることはないじゃないか」と笑った。「お前の組合のことをお前が話すんじゃないか」 腹が立って来て、ナースチャは云った。「組合へ入れば、映画がやすくなるんです」 爆発するような口をあけてあおむきに寝ころんだパーヴェル・パヴロヴィッチが笑った。「上出来(ブラボ)! 上出来(ブラボ)!」「父さん! たら……それから? ナースチャ」 ちっとも云いたくない心持をこらえて、ナースチャは、「クラブもあります」と云った。「夜ひまなとき、わたし、クラブのクルジョークで勉強したいと思ったのです。わたし、ここでほんの一人ぼっちだけど、そこへいけば沢山仲間(タワーリシチ)があります」 だんだん自由に話せるようになり、ナースチャはいつか再びテーブルのそばまで戻って力づよく云った。「ごらんなさい。アンナ・リヴォーヴナ、もし明日でも、いらなくなれば、あなたはわたしを出すことが出来ます。でも、わたしはどうしたらいいでしょう?――それはわたしの苦しみです。あなたの苦しみではない」「……そりゃ本当だ。……でも、ナースチャ。お前、どのくらい沢山組合(ソユーズ)に入ってる娘たちが失業で淫売婦になってアルバートをうろついているか知ってるかい」 ナースチャは知らなかった。アンナ・リヴォーヴナは、舌を鳴らした。「ごらん!」 人さし指を立て、ナースチャの顔の前でふった。「自分の胡瓜を売ろうとする人間は、それが苦いとは云わないものさ。第一、組合(ソユーズ)へ入ればお金とられるんだよ」「それは知ってます」「いくら払わなけりゃならないって云ったい」「…………」 確かな歩合をナースチャは知らなかった。 アンナ・リヴォーヴナはしばらく頑固に黙っているナースチャの顔を見まもり、やがて捨てるように云った。「わたしのことじゃないから、どうでもいいけれどね。つまらないようなもんじゃないか。沢山お金とったって、とっただけの割で組合へとられてさ、おまけに失業積立金まで出して、ひとを食べさせてやるなんて」 ナースチャの頭が、ゆっくり、農民らしくこんがらかりはじめた。アンナ・リヴォーヴナに云われてみると、自分がはっきり知らぬいろいろのことのどこかに、なにか自分に損の行きそうなことが隠れているように感じられ出した。ナースチャは、アンナ・リヴォーヴナを信用はしなかった。同時に、組合も全部信用出来ない心持になって来たのであった。陰気な眼付をして、ナースチャはテーブルの上の紙を眺めた。「心配おしでない、いいようにして上げるから」 アンナ・リヴォーヴナは、しょげたナースチャの肩を押し出してやりながら云った。

どうした? ナースチャ

「どうした? ナースチャ」 リザ・セミョンノヴナが舶来の、十五ルーブリ出して買った絹靴下の穴をつくろいながらきいた。「組合(ソユーズ)のこと」 両手を腰にかって立ち、リザ・セミョンノヴナの手許を見下していたナースチャは、隣の食堂へ目まぜして、小さい声を出せと合図した。「行きました。この間」「すんだの」「アンナ・リヴォーヴナがまだ書付(ドクメント)を書いてくれないんです」 リザ・セミョンノヴナはちょっとだまりこんだのち、云った。「なんとか云われたら、こうお云い。じゃなぜパーヴェル・パヴロヴィッチは自分の組合へ入っているんですかって――いい?」 ナースチャはつよく合点合点した。 けれども、ナースチャの本心はもうかわっているのであった。アンナ・リヴォーヴナにほのめかされた疑いが彼女の頭からのかなかった。ナースチャは主人をせきたてなかった。 十日ばかりして、またリザ・セミョンノヴナに同じことをきかれた時、ナースチャはむしろ不意に体のどこかを突かれたような感じをうけた。(まだ忘れないでいたか)ナースチャはとっさに不自然な熱心さでリザ・セミョンノヴナへこごみかかり訴えた。「聞いて下さい。リザ・セミョンノヴナ、アンナ・リヴォーヴナは返事だけして承知しないつもりなんですよ。どんなにわたしが毎日毎日頼んでるか! 昨日だって、わたし一時間も云ったんです。そりゃあ一生懸命云ったんです」 だがリザ・セミョンノヴナは、彼女の綺麗で怜悧な水色の横目でナースチャの喋べくるのを眺めながら、膝を抱えて体をふりふり、彼女の鼻歌をうたいつづけた。

鼻歌

  船が行く――  渦巻く水は  じきに気ずいに  魚を飼うだろう ナースチャは、リザ・セミョンノヴナが自分を信じないことを感じた。「どうしましょう? リザ・セミョンノヴナ」 リザ・セミョンノヴナは黙っている。「ね、リザ・セミョンノヴナ」 自分の虚言(うそ)の見破られた意識から、ナースチャは困って泣きそうになった。「ね、リザ・セミョンノヴナ」 ナースチャは不器用に手をのばして、リザ・セミョンノヴナの膝にさわって云った。「悪く思わないで下さい」 リザ・セミョンノヴナは、それでもやっぱり黙っていた。 ナースチャがもらって来た書類は、二つ折になって食堂の棚の上にのったまま受難週間になった。 建物の中庭へ荷馬車が入って来た。そして、雪の下から現われた去年の秋からのごもくたを運び去った。黒い湿った地面が出た。人はまだ冬外套を着て往来を歩いていたが、日が当ると、中庭の黒い地面からはものの腐る温いにおいがした。それは春の匂いであった。日に数度借室のだれかが、中庭で絨毯をたたいた。張り渡した綱にたたいた絨毯を干して、建物のそばのベンチに子供をかけさせておいた。子供は犬と戯れつつ、あるいは建物の四階の窓からリボンをつき出している友達と声高にしゃべりつつ、絨毯の番をした。中庭の光景のあちらの空に芽ぐんだばかりの緑色に煙る菩提樹(リーパ)の大きな頂が見えた。煉瓦の赤い建物がそこにあるので、菩提樹の柔い緑色は一そう柔く煙のように見える。 アンナ・リヴォーヴナは借室(クワルチーラ)へ床磨きをよんだ。復活祭(パスハ)まで床磨き人は、権威ありげに口をきいた。ナースチャは洗濯をした。ふだんの洗濯のほかに、アンナ・リヴォーヴナが去年の復活祭から枕にかけたレースや、食卓覆い、カーテンを洗った。台所の外についている露台に石油焜炉(プリムス)を持ち出し、洗濯物をにては盥のなかでもむ。オルロフが、すべるように猫背でやって来た。台所の戸は、箒をつっかって開け放しだ。そこから露台に向って彼は、例の口調で、「ナースチャ、いつお前の手がすくだろうかね」 ナースチャは、背を向けたまま答える。「三時間かかります」 一年じゅうの洗濯をしてしまわなければならぬ。働きながら、時々ナースチャは石鹸水でふやけた手を露台の上からふって笑った。露台の上から、下の中庭越しに塀が見えた。塀のじゃかじゃか出た針金越しに別の建物の平屋の翼が見下せた。パン屋の仕事場がそこにあった。開いた窓に向ってパンこね台があった。白帽をかぶり、帽子ほどは白くない仕事着をきた職人が四人働いていた。ナースチャが去年の夏来た時にもそのパン工場がやっぱり見えた。間もなく永い冬が来てその窓は閉まり、やがて凍ってなにも見えなかった。 再び春だ。職人の顔ぶれが少しちがったとしても、それがなんであろう。彼らの一人は、露台にいるナースチャに向って手を振った。ナースチャは笑う。彼はそれを見て笑って、ナースチャにききとれぬことをなにか云う。ナースチャはまた笑う。一人別の職人が、パンのこね粉をむしって、なにかこしらえ、ナースチャに見せるように高くさし上げる。その時はみなの職人が仕事をやめた。笑って、がやがや云いながらナースチャの方を見上げた。仕事場の方は暗いし、第一遠いし、なんの形だかナースチャに見わけられない。彼女は手を振った。職人たちはまるではしゃいで笑いつづけた。「ヘーイ、娘っ子(ジフチョンカ)」「ヒュー! ヒュー!」 畜生(チヨルト)! ナースチャはむっとして露台から引きこむ。しかし、翌朝戸をあけ、露台へ出る時、ナースチャは挨拶を用意しているのだ。 ナースチャは、夜十一時半までひのしかけをした。最後のハンカチを終ったが、まだ火があった。ナースチャは今朝ほしたアンナ・リヴォーヴナの下着にひのしをしてしまいたいと思った。けれども、建物の物干場は五階の屋根裏だ。しんとした階段と、物干場のがらんどうな湿っぽい大きさがナースチャを恐れさした。 ナースチャは、忍び足でリザ・セミョンノヴナの戸へ近づいた。戸から燈火が洩れている。ナースチャは、そっとたたいた。「お入り」 リザ・セミョンノヴナは、まだ着物もぬがず、新聞から切抜をしていた。「リザ・セミョンノヴナ、ごめんなさい、邪魔して。――わたし、物干場へ行かなけりゃならないんです」 ナースチャは云った。「でも……こわいんです」「なぜさ」「一番てっぺんなんですもの、それに、もう夜で、暗くて」「アンナ・リヴォーヴナにそうお云い」「神よ(ボージェ・モイ)! わたしぶたれます」 リザ・セミョンノヴナは急に両足で立った。「さ、早く、早く!」「ああ、ありがたい! リザ・セミョンノヴナ、あなたは本当に」「いいから鍵とっといで、早く!」 ナースチャがさきに立って階段をのぼって行った。足音が、夜のコンクリートの壁に反響した。小さい夜間電燈が各階の踊場についているだけであった。「ごらんなさい、リザ・セミョンノヴナ、こわいでしょう、わたし、この間、あっちの建物の翼へ泥棒が入ったって聞いているから、一人じゃ来られないんです」 夜じゅう、借室の下の入口の戸が開いているのは事実であった。木戸口は十二時にしまった。 リザ・セミョンノヴナは、「なんでもない」と云った。「陽気じゃないだけさ」 物干場は五階目の登りきったところで、一つ、物干場の戸があるきりであった。上へ行く路はない。下へ、もと来た階段を下りられるだけであった。夜は凄い感じがした。ナースチャは、スイッチをひねってから鍵で、そのたった一つの戸を明け、自分とリザ・セミョンノヴナを入れたのち、堅くとざした。 床には砂がしいてある。いく条も繩が張り渡され、その三分の二ばかりに物が干してあった。天井は低い。隅になにかの樽があった。ナースチャは、裾飾りのついたアンナ・リヴォーヴナの下着を腕にかけて外へ出た。あとに麻の大敷布三枚、台覆い、パーヴェル・パヴロヴィッチの下着、さらに奥のところにナースチャの前垂、更紗の服、桃色の股引(パンタルーン)がさかさに繩からつる下っているのが、薄暗い電燈で見えた。「それだけでいいの」「ええ、あとは明日でいいんです。左側のは、よその人のです」 ナースチャは永いことかかって戸の鍵をしめた。

リザ・セミョンノヴナ

 リザ・セミョンノヴナは、廊下の物音で目をさました。復活祭に、あと三日という朝だ。女の声がした。アンナ・リヴォーヴナの声がした。泣き声が聞えたような気がした。 顔洗いに行くと、台所の戸が開いていた。ナースチャがその真中に立って、しゃくり上げて泣いている。リザ・セミョンノヴナは、「なにをこわしたの、ナースチャ」ときいた。ナースチャは立っている場所を動かず、前垂をつかんだまま、顔から手をはなして答えた。「干物をすっかり盗まれちゃったんです」 云ううちに、涙が眼からころがり落ちて、怯えたナースチャの頬を流れた。「昨夜、あなたも見たあの干物を今朝までに誰かが盗んだんです」 リザ・セミョンノヴナは、腹立たしそうに、「いつだって復活祭の前って云うと、ろくなことはありゃしない」と云った。モスクワで一番盗難の多い季節なのであった。「お泣きでない、ナースチャ、泣いたって出て来やしない」「オイ! オイ! リザ・セミョンノヴナ、恐ろしい、わたしがいつ悪いことをしたのでしょう、アンナ・リヴォーヴナやマリア・セルゲエヴナは、わたしが盗んだって云うんです」「お泣きでない、お前に二人寝台の敷布なんぞいらないのはみな知ってるんだから」 閉めきった食堂から、電話の音がした。ナースチャはしゃくりながらそれをきき澄した。「アンナ・リヴォーヴナが警察へ電話をかけているんです。わたしのところへ犬をよぶんです」 リザ・セミョンノヴナが室へ戻ると、ナースチャは茶を運んで来た。彼女はもう泣いていなかった。リザ・セミョンノヴナが机の前に坐り、茶を飲んでいる間、ナースチャは、いくたびか黙ろうとしながら黙り切れず、訴えた。「あの人たちは盗まれたものがあまり惜しいので、わたしが盗んだなんて云うんです。犬が来たって、わたしどこの隅でも、靴の底まで嗅がせます。平気だ」 ナースチャの涙がとまったが、昂奮でいまはかすかに胴ぶるいしているのが見えた。「ただ、ね、リザ・セミョンノヴナ、わたしはもう八ヵ月近くアンナ・リヴォーヴナのところで働いた。アンナ・リヴォーヴナはわたしが不正直でもおいたでしょうか? それだのに、いまになって盗んだなんて云われるの、口惜しいんです」 リザ・セミョンノヴナは、苦笑いして、「じゃ、わたしも犬に嗅がせなけりゃなるまい」と云った。「ゆうべ、一緒にあんなところへ行ったんだから」「あなたは知らないけれど、オルロフは、いつだって机の上に細かいお金をばらで出しとくんですよ。なぜ? わたしは知っています。オルロフはわたしを試しているんです。わたし、指の先だってそんなお金にさわったことはありゃしない。――そんなにしたって、ふしあわせな人間には、ふしあわせしか来ないんです。――オイ! いまにどんなふしあわせが来るだろう――」 夕方リザ・セミョンノヴナは、鈴蘭の花束と、金色で細いリボン飾りのついた卵を買って帰って来た。狭い借室での復活祭の仕度だ。廊下で、アンナ・リヴォーヴナに出会った。すると挨拶もせず出しぬけに彼女は、リザ・セミョンノヴナに云った。「今朝警察からあなたのことをききに来ましたよ、どうしたんでしょう」「……そんなことをわたしが知るもんですか、アンナ・リヴォーヴナ」 リザ・セミョンノヴナは、ナースチャが茶を持って来た時、「アンナ・リヴォーヴナは、盗まれた敷布が惜しくて、頭をおっことしてしまったよ、ナースチャ」と云った。「どうしたい、可愛い犬はよくお前を嗅いでってくれたかい?」「ええ、アンナ・リヴォーヴナとマリア・セルゲエヴナは、わたしが盗まなかったのが不満なんです。ねえ、リザ・セミョンノヴナ。いまにどんなふしあわせが来るんでしょう。ちょうどわたしのところに鍵のあった晩に盗まれるなんてねえ。……盗んだ人間は、安全でわたしだけがこんな辛い思いをするなんて」

ナースチャ

 ナースチャは、急に憎悪に燃えた眼をして叫んだ。「悪人奴! 悪人奴!」 往来では粉雪が降り出した。歩道の上を花売り男が両手に鈴蘭の束を持ち、「新しい鈴蘭、きりたての鈴蘭、お買いなさい、五十カペイキ」 通行する年よりの女に近づいて、花束をつきつけた。老婆は買物籠の経木製の二本の百合の花を指さした。「ごらん! これを。いりゃしないやね」――アルバートの広場の赤白塗の古い大教会では、二人の男が鐘楼で受難金曜日の鐘を鳴らした。教会の外壁をまわって通る電車の窓ガラスと、向う側の食堂(ストローバヤ)の扉が、ガーン、ガーン重くけたたましく鐘の音響によって絶えずふるえた。上衣の左右のかくしへウォツカ瓶を突こみ、一本からは時々ラッパのみしつつ、労働者が一人ならんでいる客待ちタクシーのかげを通った。いろんな方角から射出す明りで通行人の顔が歪んで見える広場の辻を、警笛を鳴らしつづけ、赤十字の応急自動車が走り去った。夜のうちで赤い十字が瞬間人々の目をかすめ、光った。 粉雪はますます降り、鐘の音波はやや雪にこもり、下方から光線をあびる教会の尖塔は雪の降る空の高みでぼやけはじめた。しかし、食料品販売所(コンムナール)では、床にまいた大鋸屑(おがくず)を靴にくっつけて歩道までよごす節季買物の男女の出入が絶えない。 アンナ・リヴォーヴナは夫と「鷲の森(ソコールニク)」の娘のところへ行った。そこには、ガスでない白樺薪をたく本物のペチカがあって、アンナ・リヴォーヴナは、例年復活祭のクリーチは、うちのと、娘たち家族の分と、そこで焼くのであった。リザ・セミョンノヴナは芝居へ行ったし、ナースチャの台所では、水道栓からしたたる水の音がきこえるだけであった。 ナースチャは、踏台をして高い棚の奥から、古びた樺細工の鞄をおろした。布団やなにかと一緒にこれも今朝コンクリートの床の上で警察の犬に嗅がれたものだ。膝の上に鞄をおき、ふたをあけ、ナースチャは、縁に赤い水玉模様のついたけちなハンカチづつみをとり出した。死んだ母親がナースチャにくれた聖像(イコーナ)であった。聖像は、ほんの小さい二寸角ばかりのもので、なんだかわからない古い厚い板に、金もののキリストと聖者がついていた。キリストも聖者も目鼻はなかった。金属板の上に簡単な直線で体と顔面の輪廓だけ刻まれている。ナースチャは片手でその聖像を持ち、片手で自分の胸の上に十字を切った。 明日早朝焼かなければならぬ肉入パンの種がこしらえてある鉢を料理台の上で片よせ、ナースチャは、その小さい聖像を壁にもたせておいた。三カペイキの小蝋燭の燃えさしをさがし出し、ボール紙の切端に蝋をおとして立て、二本の蕊に火をつけた。自分の大さにつり合った蝋燭の焔を受けて、聖像のキリストと聖者とはうれしげに台所のなかで輝いた。ナースチャは、本当の聖壇の前でするように、聖像の前に立ち、いくども胸に十字をきっては低く叩頭した。 それがすむと、台をもって来て、ナースチャは料理台にぴったりくっついて架けた。台の上で両腕を深く組み合わせ、その上に顎をのせ、自分の顔と同じたかさにある小さい聖像をナースチャはしげしげと眺めはじめた。――どうして、このキリストや聖者に眼も口もないのであろう。右の方に立っているのが、自分の聖者だと、ナースチャは子供のときから教えられた。だが、どこでこれが聖者ナデージュダだとわかるのだろう。目もなく、口もなく、それで自分を護ってくれることが出来るであろうか。ああ、しかし、キリストにだって眼や口がないではないか。 ナースチャは祈の文句も正式には知らず、不断信心しているというのでもなかったが、そうして、蝋燭の光に照らされる古馴染の小聖像を眺めていると、親しい休まった心持になった。思いがけない出来事で疲れ、泣いた心が、和らいだ。蝋燭の燃える微かな匂いも、いい心持だ……ふっと腕に押しつけている口の隅からよだれが出そうになった。ナースチャはいそいでそれを吸いこみ、また頭を下して頬ぺたを腕にのっけた。またたきする度にナースチャの睫毛(まつげ)をとおして、蝋燭のしんのまわりと聖像の面から短い後光が細かく一杯八方へさした。一つずつナースチャのまたたきがゆっくり重くなった。それにつれて後光は、蝋燭のまわりと聖像の面の上から次第に長く、明るく、顔の上にさして来るような気がする。ナースチャは溜息をついた。彼女の手足から感覚がぬけ、いつか閉じた瞼をとおし頭のうちまで光で一杯になった。 いびきで、ナースチャは愕然と目を開いた。彼女は自分の周囲を見まわした。かっちりと電燈が台所じゅうを照らしている。蝋燭は三分ほどともりのこっている。ナースチャは蝋燭を吹き消した。煙がゆれて、強い匂いが漂った。さっきとはまたちがう淋しい心持がナースチャに起った。ナースチャは伸びをし、肩をかいた。 ベルが鳴って、オルロフが帰って来た。彼は廊下で外套をぬぎながら、水のような眼でじっとナースチャを見つめ、「いい娘さんだね、お前は」と云った。ナースチャは、自分の顔になにかがついているんだと思って、あわてて手のひらで口のまわりをこすった。オルロフは、やっぱり水のような眼でナースチャを見まもり、命令した。「どうかわたしに熱い茶を一杯持って来てくれないかね」 ナースチャが台所へ行くうしろから、彼はもういっぺん叫んだ。「ごく熱いのでなけりゃいけないぞ」 ナースチャは、台所の戸をばたんと閉めて、薬罐をガスにかけた。夜業しているパン工場の燈火が、降る粉雪を射て、ナースチャのところから低く下に見えた。