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Friday, March 03, 2006

リザ・セミョンノヴナ

 リザ・セミョンノヴナは、廊下の物音で目をさました。復活祭に、あと三日という朝だ。女の声がした。アンナ・リヴォーヴナの声がした。泣き声が聞えたような気がした。 顔洗いに行くと、台所の戸が開いていた。ナースチャがその真中に立って、しゃくり上げて泣いている。リザ・セミョンノヴナは、「なにをこわしたの、ナースチャ」ときいた。ナースチャは立っている場所を動かず、前垂をつかんだまま、顔から手をはなして答えた。「干物をすっかり盗まれちゃったんです」 云ううちに、涙が眼からころがり落ちて、怯えたナースチャの頬を流れた。「昨夜、あなたも見たあの干物を今朝までに誰かが盗んだんです」 リザ・セミョンノヴナは、腹立たしそうに、「いつだって復活祭の前って云うと、ろくなことはありゃしない」と云った。モスクワで一番盗難の多い季節なのであった。「お泣きでない、ナースチャ、泣いたって出て来やしない」「オイ! オイ! リザ・セミョンノヴナ、恐ろしい、わたしがいつ悪いことをしたのでしょう、アンナ・リヴォーヴナやマリア・セルゲエヴナは、わたしが盗んだって云うんです」「お泣きでない、お前に二人寝台の敷布なんぞいらないのはみな知ってるんだから」 閉めきった食堂から、電話の音がした。ナースチャはしゃくりながらそれをきき澄した。「アンナ・リヴォーヴナが警察へ電話をかけているんです。わたしのところへ犬をよぶんです」 リザ・セミョンノヴナが室へ戻ると、ナースチャは茶を運んで来た。彼女はもう泣いていなかった。リザ・セミョンノヴナが机の前に坐り、茶を飲んでいる間、ナースチャは、いくたびか黙ろうとしながら黙り切れず、訴えた。「あの人たちは盗まれたものがあまり惜しいので、わたしが盗んだなんて云うんです。犬が来たって、わたしどこの隅でも、靴の底まで嗅がせます。平気だ」 ナースチャの涙がとまったが、昂奮でいまはかすかに胴ぶるいしているのが見えた。「ただ、ね、リザ・セミョンノヴナ、わたしはもう八ヵ月近くアンナ・リヴォーヴナのところで働いた。アンナ・リヴォーヴナはわたしが不正直でもおいたでしょうか? それだのに、いまになって盗んだなんて云われるの、口惜しいんです」 リザ・セミョンノヴナは、苦笑いして、「じゃ、わたしも犬に嗅がせなけりゃなるまい」と云った。「ゆうべ、一緒にあんなところへ行ったんだから」「あなたは知らないけれど、オルロフは、いつだって机の上に細かいお金をばらで出しとくんですよ。なぜ? わたしは知っています。オルロフはわたしを試しているんです。わたし、指の先だってそんなお金にさわったことはありゃしない。――そんなにしたって、ふしあわせな人間には、ふしあわせしか来ないんです。――オイ! いまにどんなふしあわせが来るだろう――」 夕方リザ・セミョンノヴナは、鈴蘭の花束と、金色で細いリボン飾りのついた卵を買って帰って来た。狭い借室での復活祭の仕度だ。廊下で、アンナ・リヴォーヴナに出会った。すると挨拶もせず出しぬけに彼女は、リザ・セミョンノヴナに云った。「今朝警察からあなたのことをききに来ましたよ、どうしたんでしょう」「……そんなことをわたしが知るもんですか、アンナ・リヴォーヴナ」 リザ・セミョンノヴナは、ナースチャが茶を持って来た時、「アンナ・リヴォーヴナは、盗まれた敷布が惜しくて、頭をおっことしてしまったよ、ナースチャ」と云った。「どうしたい、可愛い犬はよくお前を嗅いでってくれたかい?」「ええ、アンナ・リヴォーヴナとマリア・セルゲエヴナは、わたしが盗まなかったのが不満なんです。ねえ、リザ・セミョンノヴナ。いまにどんなふしあわせが来るんでしょう。ちょうどわたしのところに鍵のあった晩に盗まれるなんてねえ。……盗んだ人間は、安全でわたしだけがこんな辛い思いをするなんて」

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