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Monday, May 29, 2006

注目選手

注目選手を紹介します。

ミヒャエル・バラック
マチエイ・ズラウスキ
ウェイン・ルーニー
カルロス・ガマーラ
ニコ・クラニツァール
ハリー・キューウェル
ドワイト・ヨーク

ドワイト・ヨーク

 カリブ海に浮かぶ小さな島、トリニダート・トバゴ。人口わずか130万人の小国がワールドカップに出場するとは、誰が予想しただろうか。躍進のキーマンは3人。チームに規律をもたらしたオランダ人のレオ・ベーンハッカー監督と、予選で12得点を挙げたFWスターン・ジョン。そして、“トリニダード・トバゴの英雄”ドワイト・ヨークである。
 ヨークは1999年にマンチェスター・Uが三冠を達成したときの主力選手で、プレミアリーグ得点王も獲得した実力者だ。10代でイングランドに渡り、アストンヴィラをはじめ、マンチェスター・U、ブラックバーン、バーミンガムに在籍。サッカーの母国では15年間にわたってプレーした。トリニダード・トバゴ史上、最も国際的に成功したサッカー選手である。その人気はすさまじく、国内には名前を冠した「ドワイト・ヨーク・スタジアム」が建つほど。現在はオーストラリアのシドニーFCに所属しており、三浦知良(カズ)とともに世界クラブ選手権で来日した姿は記憶に新しい。
 今年で35歳を迎えるカリブのカリスマは衰えることを知らず、2005年2月の代表復帰後、プレーオフを含む予選12試合すべてに先発出場を果たしている。バーレーンとのプレーオフ第2戦ではセットプレーから先制ゴールをアシストし、母国をワールドカップ出場に導く決定的な仕事をやってのけた。
 肉体的には全盛期ほどのハリはなくなったが、そのぶん、味方を生かすプレーはすごみを増した。イングランド時代は絶対的なストライカーとして君臨していたが、今では状況に応じてトップ下でプレーする柔軟さも持ち合わせている。自分にマークを引き付けておいて、スターン・ジョンを生かすコンビプレーはチームのストロングポイントだ。
 1998年のプロリーグ発足以来、トリニダード・トバゴは着実に力を付けてきた。とはいえ、国際舞台の経験不足は明らかだ。頼れるのはヨークしかいない。カリブの小国が躍進を遂げられるかは、ベテランの両足にかかっている。国民の期待を一身に受け、ヨークが一世一代の大勝負へ挑む。

カルロス・ガマーラ

 カルロス・ガマーラほど、エレガントなセンターバックは珍しい。179cm、85kgとDFとしては小柄なものの、卓越したポジショニングと読みで相手アタッカーをことごとくストップする。35歳になった今でも、パラグアイのDFラインに欠かせない存在である。
 特筆すべきは、プレーのクリーンさだ。ガマーラは1998年フランス大会、2002年日韓大会とワールドカップに2度出場しているが、合計8試合で1枚もイエローカードをもらっていない。フランス大会にいたっては、ファウル数はゼロ。日韓大会も、8度しかファウルを犯さなかった。危険なタックルをすることはなく、冷静なプレーでパラグアイの2大会連続ベスト16進出に多大な貢献を果たした。
 キャプテンシーと統率力も、ガマーラの持ち味である。2004年アテネ五輪には、オーバーエイジ枠で出場。10歳以上年の離れた選手たちを引っ張り、同国にオリンピック史上初のメダル(銀メダル)をもたらした。また、2006年ワールドカップ予選では15試合に出場。5節のブラジル戦、7節のアルゼンチン戦をともにスコアレスドローに持ち込むなど、安定感のあるプレーを披露した。加えて、チーム3位タイの3ゴールをマーク。強固なディフェンスに反し、得点力に課題を残すパラグアイにとって、ガマーラは攻撃面でも不可欠な戦力である。
 クラブレベルでは、国内外の名門を渡り歩いてきた。セロ・ポルテーニョ、インディペンディエンテなどで経験を積み、ポルトガルのベンフィカ、スペインのアトレティコ・マドリード、イタリアのインテルなどを経て、現在はブラジルのパルメイラスに所属。タフなリーグ、歴史のあるビッグクラブでプレーしてきたことは、ガマーラにとって貴重な財産となっている。
 パラグアイがグループリーグで対戦するのは、イングランド、スウェーデン、トリニダード・トバゴ。イングランドにはウェイン・ルーニー、スウェーデンにはズラタン・イブラヒモヴィッチ、トリニダード・トバゴにはドワイト・ヨークと、各国ともに強烈なストライカーを擁している。それだけに楽しみも多いというものだ。果たして、ガマーラは彼らをいかにして封じ込めるのか。35歳のDFが見せる、渋くて、クールで、優雅なプレーから目が離せない。

ウェイン・ルーニー

 ベテランのような顔付きをしているが、まだ20歳。ずいぶんと長くフットボールシーンの主役を務めているようで、彼がプロのピッチに登場してから4年しかたっていない。 小型戦車のような頑強な肉体を持ち、ゴールへと突進する血気盛んな若者―――ウェイン・ルーニーはサッカーの母国を40年ぶりのワールドカップ優勝に導く活躍が期待されている。
 代表デビューは鮮烈だった。イングランド代表史上、最年少試合出場(17歳111日)、最年少得点記録(17歳317日)を保持。2004年6月に開かれた自身初となるビッグ・コンペティション、EURO(欧州選手権)2004では存分に暴れまわった。丸太のような太ももから繰り出される強烈なシュートを武器に、グループリーグのスイス戦、クロアチア戦と2試合連続2ゴールを挙げる活躍を見せた。 準々決勝で地元のポルトガルに敗れたが、ルーニーはその試合で足を骨折し、前半でピッチから姿を消した。ルーニーが退くまで、ペースは圧倒的にイングランドが握っていた。「ウェインがいれば……」とは多くのイングランドサポーターの思いだ。 当時はわずか18歳。ハイスクールを卒業する年齢の小僧っ子がイングランドの命運を握っていたのである。
 あれから2年。ドイツワールドカップを20歳で迎えるルーニーにとって、今回は空前のチャンスだ。チームメイトにはベッカム、ジェラード、ランパード、テリーなど、人気と実力を兼ね備えた先輩がそろっている。タレントの質で見れば、チーム力はイングランド代表史上最高である。 ワールドカップ予選では7試合に出場して1ゴールも挙げられなかったが、果敢なミドルシュート(それもとびきりパンチの効いたものだ!)は相変わらずで、トップ下でもプレーできる起用さをエリクソン監督に証明した。オーウェンとのコンビは一時、機能しているとは言いがたかったが、それもルーニーが下がり目に位置することで円滑になった。 ルックスは武骨だが、ボールさばきはエレガントで小気味よい。この、ふてぶてしさと繊細さを兼ね備えた若者が爆発すれば、40年ぶりの戴冠(たいかん)も見えてくる。

アグスティン・デルガド

 2大会連続2度目の出場を果たしたエクアドル。前回大会はグループリーグ敗退に終わったが、今予選はブラジル、アルゼンチンに次ぐ南米地区3位で本大会出場を決めるなど、決勝トーナメント進出をねらえるだけの実力がある。そんなチームを長年に渡ってリードしているのが、エースストライカーのアグスティン・デルガドだ。
 デルガドは当たり負けしないフィジカルを誇り、強烈なヘディングが武器。187cmのFWは、同時に確かな決定力を併せ持つ。2002年ワールドカップ南米予選では、ブラジルのロナウド、アルゼンチンのガブリエル・バティストゥータなど並み居るストライカーを抑え、エルナン・クレスポ(アルゼンチン)とともに同地区の得点王に輝く(9点)。2006年ワールドカップ予選ではエディソン・メンデスと並び、チーム最多の5得点をマークした。
 エクアドルのエースストライカーはその巨躯(きょく)を生かし、前線での空中戦、ポストプレーに秀でている。確かなシュート力も誇り、対戦相手にとっては最も気を付けなければならないひとりである。
 国内組が多勢を占めるエクアドルにあって豊かな国際経験を持っていることも心強い。ネカサ(メキシコ)時代の2000年世界クラブ選手権ではマンチェスター・U、レアル・マドリードを相手にゴールを奪った。2001年にはサウザンプトンと契約し、エクアドル人として初のプレミアリーグデビュー。現在はエクアドルのバルセロナ・グアヤキルでプレーしている。
 初出場の前回大会で1勝を挙げたエクアドルにとって、今回の目標はグループリーグ突破。グループの力関係を見るとドイツの実力が抜けているものの、ポーランド、コスタリカとは互角だ。4年前はメキシコ戦の1得点のみに終わったデルガドが真価を発揮すれば、エクアドルの決勝トーナメント進出は現実味を帯びてくる。

マチエイ・ズラウスキ

 ポーランド代表のエースストライカーとして君臨するマチエイ・ズラウスキは、“マジック”の愛称で親しまれている。2005年夏、ポーランドのヴィスラ・クラコフからスコットランドのセルティックに入団。2005-2006シーズン序盤からレギュラーの座をつかみ、確かなテクニックと抜群の得点力でセルティックファンを虜(とりこ)にした。 ワールドカップドイツ大会予選では、高い決定力を見せ付けた。10試合すべてに出場し、ヨーロッパ5位タイの7得点をマーク。2004年10月13日のウェールズ戦では逆転弾、2005年3月30日の北アイルランド戦では86分に決勝点を奪うなどの活躍を披露し、ポーランドに2大会連続7度目のワールドカップ出場をもたらした。
 ズラウスキは180cm、74kgと、FWとしては小柄の部類だ。特に足が速いわけでもない。それにもかかわらず、ポーランド代表でもセルティックでもコンスタントに得点を積み重ねている理由は、ポジショニングが優れているからである。 セルティックでともにプレーする中村俊輔が「“マジック”は裏に抜けられるから」と信頼を置くように、ズラウスキはオフ・ザ・ボールの動きが秀でている。攻撃的MFがボールを持つと、ディフェンスのマークをかいくぐり、フリーでボールを受ける。サイドに流れてパスをもらい、そこから中央に切れ込むパターンも得意だ。日本代表の柳沢敦のようなタイプで、抜群の得点嗅覚(きゅうかく)を誇っている。
 ワールドカップ日韓大会ではグループリーグ3試合ともに先発したが、1度もゴールネットを揺らすことはできなかった。だが、エースとして臨むドイツの地で、同じ失敗は許されない。 右足、左足、頭と多彩な得点パターンを誇るストライカー。安定感と爆発力を兼ね備え、予測しづらい動きでDFを幻惑し、ファンに歓喜をもたらす。29歳になり、プレーの幅を広げた“マジック”ズラウスキ。ポーランドの頼れるFWは、ドイツでどんな魔法をかけるのか。

パウロ・ワンチョペ

 ハンターのような嗅覚(きゅうかく)と動物的な勘を併せ持ち、どんな体勢からでもゴールをねらうストライカー。“コスタリカ史上最高の点取り屋”と呼ばれているのが、パウロ・ワンチョペである。2005年10月には、コスタリカ代表の最多得点記録(43得点)を塗り替え、エースと呼ぶにふさわしい存在感を示している。
 ドイツワールドカップ予選では8試合で3得点をマーク。驚異的な身体能力からなるプレーは円熟味を増している。コスタリカにはデポルティーボ・サプリサのサボリオやセンテーノなど、生きのいいアタッカーがそろっているが、経験、安定感でワンチョペをしのぐものは見当たらない。
 エレディアノという小さなクラブでキャリアの第一歩を記したワンチョペだったが、最初から順調な道のりを歩んできたわけではない。ステップアップを目指し、いくつかのクラブのテストを受けるも、芳しい結果は得られず。サッカーをあきらめて、バスケットの道に進もうと考えたほどだった。しかし、腐らずに1年半プレーした結果、プレミアリーグのダービー・カウンティに移籍を果たす。これがキャリアの分岐点になった。開幕戦でマンチェスター・U(ウェイン・ルーニー)を相手にゴールを決めたのである。
 ダービーで3シーズンプレーしたあと、350万ポンド(当時:約5億7000万円)の移籍金でウェストハムに加入。キャリアのピークを刻むとともに、マンチェスター・C、マラガでプレーし、コスタリカ人としては異例のサクセスストーリーを歩んで行く。
 以降、カタールのアル・ガラファを経て、現在は古巣のエレディアノに在籍している。この移籍はキャリアの幕引きを考えてのものと言っていいだろう。ワンチョペはドイツワールドカップ後の代表引退を発表しているのだ。コスタリカが生んだ偉大なゴールハンターが代表のユニフォームを着るのは、今回が最後である。
 ワールドカップには日韓大会に続いて2度目の出場になる。前回はブラジル、トルコの強豪と同じ組に入り、予選リーグ突破はならなかった。今回はドイツ、ポーランド、エクアドルとの対戦が待っているが、恐れるに足らずである。コスタリカの野望は、1990年イタリア大会以来のベスト16進出にほかならない。自らの花道を飾るため、ワンチョペのファイナル・バトルが始まる。

ミヒャエル・バラック

 開催国のキャプテン。その栄誉に授かることができるのは、参加32か国、736人のうちひとりだけである。
 とびきりの名誉とともに、彼にかかる重圧は並大抵のものではない。それでも、やらなければならない。過去にフランツ・ベッケンバウアーが挑み、成功したミッション。主将として開催国を優勝に導く偉業に向けて、ミヒャエル・バラックは突き進む。
 旧東ドイツのゲルリッツで生まれたバラックは、共産主義独特のエリート教育で知られるスポーツシューレでフスバル(サッカー)のすべてを学んだ。
 東側のクラブ、カール・マルクス・シュタット(現ケムニツァー)でキャリアをスタートさせると、カイザースラウテルン、レヴァークーゼンを経て、2002年のワールドカップ後からバイエルンに加わった。2002、2003、2005年と3度ドイツ年間最優秀選手賞を受賞。いまではオリヴァー・カーンをしのぐ人気を集め、ドイツの顔として君臨している。
 自身初めてのワールドカップとなった日韓大会では準優勝に輝いた。チームをけん引したのは、GKカーン、FWクローゼ、そしてMFバラックの3人だった。なかでも、準決勝の韓国戦でバラックが見せたパフォーマンスは、ドイツに新たな“皇帝”が生まれたことを知らしめるものだった。
 韓国の攻勢が続く後半、バラックは相手の猛攻をストップするためにペナルティエリア付近でファウルを犯し、イエローカードを受けてしまう。累積により、ドイツが勝っても決勝戦に出場できない。しかし、すぐに気持ちを切り替え、「いま、自分にできることをしよう」と開き直った。
 そして75分、ゴールが生まれた。
 ノイヴィルのパスを受けたバラックがシュートを放つ。GKに弾かれたボールを再び蹴り込み、ついに均衡を破った。この1点を守り切ったドイツは決勝の切符を手に入れた。チームは喜びに沸いたが、バラックは出場停止。ブラジルに蹂躙(じゅうりん)される母国を客席から見守るしか術はなかった。
 あれから4年、バラックは決勝に忘れ物を取りにいかなくてはならない。
 ファイナルの会場はベルリンのオリンピアシュタディオン・ベルリン。東西を分断する壁のあった都市だ。東で生まれ育ち、西でキャリアをアップさせたバラックの集大成にふさわしい舞台である。

中村俊輔

 屈辱のメンバー落ちとなったワールドカップ日韓大会から4年。いよいよ、中村俊輔がワールドカップデビューを果たす。マラドーナにあこがれてきたレフティは、今では押しも押されもせぬ最重要キーマンとなった。
 「ワールドカップは、海外での4年で自分がどう変わったかを確認できる舞台だね」 セリエAのレッジーナで3年、スコットランドの名門セルティックで1年。中村は海外移籍を果たしてからの4年間で、明らかにパワーアップした。トップ下、サイドハーフ、ボランチとさまざまなポジションをこなしてきたことにより、持ち前の視野は広がった。フィジカルコンタクトの激しいリーグを戦場としてきたこともあり、接触プレーでの巧みさを増した。イタリアとスコットランドでの海外生活で、メンタル面でもタフになった。スコットランドリーグ移籍後、タックルの技術も向上している。セルティックでは、右足から正確なクロスを供給することもしばしばある。もちろん、左足の精度が高まったことは言うまでもない。
 中村が何より優れているのは、スポンジのような吸収力である。経験してきたものを昇華し、自分の引き出しを増やしていく。学習意欲が高く、常に向上しているのだ。 「ワールドカップはサッカー経験をたくさん積める場所。いい状態でワールドカップに出て、その後、4年後となるようにしたい」
 日本の対戦国も、中村を特に警戒している。当然だろう。彼の左足は、一瞬で状況を打開できるからだ。フリーキック、ラストパス、シュート。多彩なキックは、同時にジーコジャパン最大の武器でもある。 中村の左足で思い出されるのは、2005年コンフェデレーションズカップのブラジル戦。27分、左足で強烈なミドルシュートを突き刺したシーンだ。中村が持つ世界レベルの個人技は、セレソンをも黙らせる程の威力がある。 日本の背番号10は、まだまだレベルアップをもくろんでいる。そのためにも、ワールドカップでの活躍は不可欠だ。自慢の左足で日本に勝利をもたらしたとき、中村の未来は新たなステップへと切り開かれる。

ハリー・キューウェル

 ボールを受ければ迷わずドリブル突破を試み、左足から強烈なシュートを放つ。超攻撃的なマインドを誇り、創造性も豊か。そのプレースタイルから、ハリー・キューウェルは“オズの魔法使い”と形容されている。
 1995-1996シーズンにプレミアリーグのリーズへ移籍したキューウェルは、欧州を舞台に華々しい活躍を披露してきた。17歳でプロデビュー。1999-2000シーズンには36試合で10ゴールをマークし、イングランド・プロサッカー選手協会による年間最優秀選手に選出された。2002-2003シーズンにはキャリアハイの14ゴールを奪い、リヴァプールへ移籍する。その後はケガに泣かされ思うようなプレーはできなかったが、2004-2005シーズンにはチャンピオンズリーグを制した。 オーストラリア代表としては、1999、2001、2003年と3度オセアニア最優秀選手に輝いている。しかし、キューウェルは代表でのキャリアにまったく満足していないだろう。ワールドカップ予選は1998、2002年大会ともにプレーオフで敗退。地元開催の2000年シドニー五輪は、ケガのために辞退を余儀なくされた。だからこそ、キューウェルは初めてのワールドカップ、大いに意気込んでいる。 予選は、ウルグアイとのプレーオフ2試合にしか出場しなかった。だが、本大会で不動のレギュラーに据えられることは確実だ。いや、オーストラリアの命運はキューウェルが握っていると言っても過言ではない。
 2003-2004シーズンにリヴァプールへ移籍したのち、キューウェルは慣れない右サイドで起用されたこと、そして度重なるケガにより、不本意なシーズンを過ごしてきた。だが、もう心配はいらない。リーズ時代、ヨーロッパの舞台でセンセーションを巻き起こした左サイドアタッカーは今シーズン、トップフォームを取り戻した。爆発力のあるスピード、鋭いステップ、高い得点力。国内リーグでの勢いそのまま、決戦の地へ乗り込んでくるだろう。 スーパースターとして大ブレイクする要素はそろっている。高い個人技、攻撃的な姿勢、華麗な動き、そして甘いマスク。キューウェルにとって、2006年ワールドカップドイツ大会はキャリアのハイライトになるかもしれない。

ニコ・クラニツァール

 ニコ・クラニツァールについて語られるとき、必ずといっていいほど付いて回る言葉がある。「親子鷹」―――。クロアチア代表監督のズラトコ・クラニツァールはニコの父親である。 だからといって、つまらない憶測は無粋(ぶすい)だ。そもそも、ニコはU-16から各年代の代表に選ばれてきたエリート選手。たとえ父親が監督でなくても、遅かれ早かれ代表のピッチに立っていたはずである。 2004年8月、ニコは7月に代表監督に就任した父ともども、フル代表デビューを果たした。ドイツワールドカップの欧州予選開幕は9月。わずか1か月しか準備期間はなかったが、持ち前の攻撃センスでスタメンに定着すると、予選9試合で2得点を挙げる活躍で本大会出場に貢献した。
 甘いマスクと優雅なプレースタイルでスターへの階段を駆け上がり、国内では“ニコ・マニア”なる言葉も生まれた人気者だ。 ポジションはトップ下で、3-4-1-2の1を担当する。185cmの長身だが足元の技術に長けており、その才能と高いテクニックから、クロアチアの英雄ズヴォニミール・ボバンをだぶらせるサポーターは多い。 ニコはボバン同様、ディナモ・ザグレブでキャリアをスタートさせると16歳でトップチームにデビュー。18歳で主将を任され、中心選手として君臨した。しかし2005年1月にチーム首脳とひと悶着(もんちゃく)を起こし、ハジュク・スプリトに放出。今年1月には国外クラブへの移籍話が持ち上がったが、継続して試合に出るため、ハジュクに留まることを決めた。おそらく、ワールドカップで活躍し、誰もが知るビッグクラブへの移籍を視野に入れているに違いない。
 ニコにとって、21歳で迎えるドイツワールドカップは初のビッグチャレンジになる。 グループFにはロナウジーニョ、カカ、中村など攻撃的MFとして、世界的に評価されている選手がたくさんいる。ボバンの域に達するためには、彼らとの対決で自らの価値を証明しなくてはならない。 ワールドカップ開幕まであとわずか。ニコの新たな挑戦はすぐそこまで来ている。

アドリアーノ

 今大会のブラジルは、間違いなく優勝候補大本命である。ロナウド、ロナウジーニョ、カカら世界トップレベルのタレントが攻撃陣にそろい、中盤からディフェンス陣の選手層も厚い。6度目のワールドカップ優勝を狙う“史上最強軍団”――そんなチームのエースストライカーが、アドリアーノである。
 189cm、91kgの体躯(たいく)を誇るストライカーは、強靭(きょうじん)な肉体が何よりの武器だ。当たり負けすることはほとんどなく、パワーあふれるドリブルでマーカーを寄せ付けない。かつスピードも超一流だから、相手守備陣にとっては何ともやっかいだ。シュートレンジも広く、ゴールまで30m程あっても射程範囲。視界にシュートコースが開けると、丸太のような左足で弾丸シュートを放ってくる。“フェノメノ(怪物)”。全盛期のロナウドに付けられた愛称は、今ではアドリアーノにこそふさわしい。
 2005年コンフェデレーションズカップ。ロナウドが欠場した大会で、アドリアーノは自らがセレソンのエースであることを示した。準決勝ドイツ戦の前半21分、ゴールまで約30mの距離。セレソンのエースストライカーはわずかなコースを見つけると、鋭い弾丸シュートを突き刺した。決勝のアルゼンチン戦でも、2得点を記録。大会通算5ゴールを奪いMVPを受賞、4大会ぶり2度目の優勝をもたらした。
 クラブレベルでも、華やかな活躍を披露し続けている。フィオレンティーナ、パルマ時代は自らのゴールのみを追求するエゴイスティックな姿が目立ったが、2003-2004シーズンからインテルに加入すると、周囲を使いこなすプレーが向上。“ネラッズーリ”加入後、ストライカーとして一皮むけた印象がある。
 現在24歳。日々レベルアップを遂げ、世界でも指折りの点取り屋になった。2006年6月、迎えるは初めてのワールドカップ。得点王候補におされるアドリアーノは、世界中で最も頼れるチームメイトとともに、最高峰の戦いに出陣する。バックアップは万全だ。ロナウドは「(2トップのコンビは)センターFWタイプのアドリアーノがいい」と語っており、攻撃的MFはロナウジーニョ&カカの最強コンビである。2005年コンフェデレーションズカップに続き、アドリアーノが得点王に輝く可能性は高い。それが実現した時、セレソンは6度目の世界王者に輝いているはずだ。