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Monday, May 29, 2006

ミヒャエル・バラック

 開催国のキャプテン。その栄誉に授かることができるのは、参加32か国、736人のうちひとりだけである。
 とびきりの名誉とともに、彼にかかる重圧は並大抵のものではない。それでも、やらなければならない。過去にフランツ・ベッケンバウアーが挑み、成功したミッション。主将として開催国を優勝に導く偉業に向けて、ミヒャエル・バラックは突き進む。
 旧東ドイツのゲルリッツで生まれたバラックは、共産主義独特のエリート教育で知られるスポーツシューレでフスバル(サッカー)のすべてを学んだ。
 東側のクラブ、カール・マルクス・シュタット(現ケムニツァー)でキャリアをスタートさせると、カイザースラウテルン、レヴァークーゼンを経て、2002年のワールドカップ後からバイエルンに加わった。2002、2003、2005年と3度ドイツ年間最優秀選手賞を受賞。いまではオリヴァー・カーンをしのぐ人気を集め、ドイツの顔として君臨している。
 自身初めてのワールドカップとなった日韓大会では準優勝に輝いた。チームをけん引したのは、GKカーン、FWクローゼ、そしてMFバラックの3人だった。なかでも、準決勝の韓国戦でバラックが見せたパフォーマンスは、ドイツに新たな“皇帝”が生まれたことを知らしめるものだった。
 韓国の攻勢が続く後半、バラックは相手の猛攻をストップするためにペナルティエリア付近でファウルを犯し、イエローカードを受けてしまう。累積により、ドイツが勝っても決勝戦に出場できない。しかし、すぐに気持ちを切り替え、「いま、自分にできることをしよう」と開き直った。
 そして75分、ゴールが生まれた。
 ノイヴィルのパスを受けたバラックがシュートを放つ。GKに弾かれたボールを再び蹴り込み、ついに均衡を破った。この1点を守り切ったドイツは決勝の切符を手に入れた。チームは喜びに沸いたが、バラックは出場停止。ブラジルに蹂躙(じゅうりん)される母国を客席から見守るしか術はなかった。
 あれから4年、バラックは決勝に忘れ物を取りにいかなくてはならない。
 ファイナルの会場はベルリンのオリンピアシュタディオン・ベルリン。東西を分断する壁のあった都市だ。東で生まれ育ち、西でキャリアをアップさせたバラックの集大成にふさわしい舞台である。

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